この世の構造を見出せば、全ての学習は加速する

今回は、抽象度を上げる学びについてです
YUDAI SUZUKI 2023.04.07
誰でも

こんにちは。今回は、前回の予告通り、抽象度を上げることについてです。

抽象度の話に入る前に、不思議な問いについてまずは考えてみましょう。

その不思議な問いというのは、数学に関する問いです。

数学は、ユークリッドによって作られました。もちろんそれ以前にも、「万物の根源は水である」という哲学で有名なタレスなどは多くの測量術を発展させていましたが、それらは物理空間の測量術であり、数学空間を作ったのはユークリッドが初なのです。

なぜかというと、彼は『ユークリッド原論』において、定義と公理を要請しているからです。定義と公理は無条件に正しいとされるものですから、そこに論証はありません。神学が、神による啓示を前提とするようなものです。

さて、数学空間は、もともと定義と公理を要請されることによって作られたものであり、その時点では人間の勝手な妄想と言えなくもありません。

では、本当に勝手な妄想なのでしょうか。実は、そうとも言えないのです。というのも、フィボナッチ数列などは典型ですが、数学的な法則は、森羅万象のあらゆるところに散見されるからです。

そして、現代テクノロジーでは、高度な数学やプログラミング言語を用いてあらゆるコンピューターが動いています。イメージ空間のはずの数学が、この世界を作っているといってもいいのです。

不思議なことが起こりました。

もしかして、数学は人間の発明ではなく、もともと宇宙は数学的法則に支配されていて、それを人間が発見しただけだったのでしょうか。

実は、神学ではトマス・アクィナスも、彼を批判した啓示神学で有名なカール・バルトも、神の啓示を前提に神学を構築しています。

つまり、神学の世界ではこのような思考は当たり前なのです。

このような思考というのは、もともとこの宇宙は目に見えないあの世の法則によって支配されており、それが具現化されているのがこの世であるという思考です。

あの世の法則には、おそらく階層性があります。

アリストテレスの哲学がまさにその階層性を示しており(『命題論』や『範疇論』など)、そのアリストテレスをキリスト教へと洗礼したトマス・アクィナスの神学も明らかに階層性の概念を内包しています。

実は、抽象度という概念は、このような世界観とともに捉えることによって、加速学習を可能にするのです。

どういうことかといいますと、この世に存在する全てのものには階層性があり、その階層性の段階は共通する部分が多いということです。

チョムスキーの生成変形文法のアイディアは、これに近いものがあります。

彼は多くの言語に共通するユニバーサルな言語体系を人間が有しているとして、そのユニバーサル言語のチューニングを行うのが言語を学ぶということであると考えました。

だとするならば、我々はあの世の法則における階層性を上がっていくことによって、多くのものに共通するものを見出すことができるのではないかと考えられます。

僕は、誤読の可能性は否めませんが(笑)、苫米地博士の『英語は逆から学べ』の学び方は、この意味での抽象度、もしくはI.Qを前提としていると思っています。

実際に、僕は英語脳のトレーニングを今やっているのですが、初めて1週間も経たないうちに英語脳のネットワークが出来上がっていることを実感しました。今ではかなり英語で思考することができるようになっています。

これは、僕があらゆる学び(コーチング、気功、空手、合氣道、古武術、哲学、神学、etc)を苫米地メソッドによりそれぞれの形が残らないほど抽象化しているからではないかと思います。

抽象度が高いということは、それぞれの学びの中で統合ができてくるということももちろん含まれますが、それ以上に大切なのはおそらく学びの内容と関係なくなるほど高い抽象度で学ぶことです。

その時初めて、ある学びが他の学びに役立つのです。

もしもある一つのことを一流のレベルまで習得した人が、この意味でのI.Qを高めたならば、驚異的な学習を可能にすることでしょう。

僕は、さきほど括弧の中に書いた学びは全て統合しています。一つの探究したいテーマの中に全てが収まっているのです。

きっと、英語脳の習得が早いのも、それがいい影響を及ぼしているのではないかと推測しています。

さて、お気づきかと思いますが、この種の学びは、言ってみれば、あなたの信仰を必要とします(笑)

それは、この世が物理空間だけではなく抽象空間にまで拡大して存在しており、その抽象空間には階層性があり、それがあらゆる物理空間の学びに含まれているという信仰です。その階層性の高み(境地)は神かもしれないし、哲学的な真理かもしれません。

もしかすると、抽象度の高い概念に勝手に臨場感を感じているだけで、階層性など存在しないかもしれません(笑)。まあ、効果があるので僕は信じているのですが。

従って、宗教と同じで、その臨場感を高めるためのトレーニングも存在しています。

それが苫米地メソッドですね。苫米地メソッドは、もちろん宗教ではありません。単に仮説です。だからこそ、再現性のあるワークをいくつも博士は書籍で紹介しているわけです。まあ、宗教とサイエンスの境目がどこかと尋ねられると、難しい話になってくる可能性はありますが(笑)。

実は、このトレーニングは、認知戦時代のコーチングというこのメルマガのテーマと根底では通じるところがあります。

なぜ認知戦時代のコーチングがこの抽象化訓練と結びつくのか。次回は、我々の認識する枠組み(世界観)について、すこし深く考えることにしましよう。

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