インプットとアウトプット
こんにちは。今回は、抽象化について書いてみようと思います。
抽象化、つまり抽象度を上げることですが、これに関してとてもいい動画を見つけたので、まずはそれをシェアさせてください。
これは、東京大学の数学の准教授の方が数学の面白さについて語っている動画です。短い動画なので、すぐに視聴できます。
最初に彼女が述べていることが、とても印象的です。
「(大学に進むと)計算をするとかそういうことはほとんどなくなりまして、とにかく新しい概念とかそういうものをたくさん学びまして、穴が空いているとはどういうことかとか、量を測るとはどういう意味かとか、線対称とか点対称とか、対称ってどういうことであるかとか、そういうことをもっと抽象化してみましょう、みたいな感じでいろいろそういう概念をとにかく学ぶと。その概念を抽象化するとどんな一般的な、普遍的なことが言えますか、みたいな定理っていうのをひたすら学んで、それをどうやって証明するのかとか、(中略)抽象化とかそういうことを学ぶ、こんな視点もあるよっていうのをどんどん豊かにしていきましょうっていうのが数学の勉強なんだなというのを、大学数学科に進学してから思いました。」
僕はこれを聞いて、自分が卒論を執筆した際に、過去に有名な哲学者や神学者が行った神の存在証明をたくさん読んで、現代的な哲学の観点からそれを分析していったことを思い出しました。
過去の神学者たちの手法は、非常に抽象化されていく現代哲学の観点からみてみると、ものすごくクリアに分析することができるのです。
僕は、神の存在証明にはどんな手法があるのか、神の存在を証明するとはどういうことか、神と人間の関係はどうなっているのか、神の存在証明をすることによって何が生まれるのかということをさまざまな角度から考察しました。
その一端は、実はこのメルマガにも表れています。
僕にとって抽象化された神学の学びは、コーチングに大きく関わっているのです。
抽象化されるということは、普遍的になるということです。
それは、森羅万象について語ることになります。
少し話は逸れますが、もちろん抽象度を上げれば上げるほど、森羅万象について語ると同時に何も語らなくなっていきます。
それは、具体的なものに関する記述を必要としなくなっていくからです。
しばしば、現代的な哲学は初心者にとって理解するのが非常に難しいです。
それは、抽象化のレベルが著しいとともに、その抽象化された情報の中に山ほどの哲学史の知識が詰め込まれているからです。
パウル・ティリッヒという僕が尊敬している神学者がいるのですが、彼は『宗教哲学のふたつの道』という本で、宗教哲学の未来をすべて見通しています。宗教哲学という学問の素晴らしさも限界も、数十ページですべて明らかにしているのです。
彼はそれを神の存在証明について考えることによって行いました。彼も、神の存在証明の抽象化に成功しているのです。
でも僕は、ティリッヒ以降の多くの哲学者たちの理論を学ぶことにより、ティリッヒよりも抽象度の高い理論を持っています。
なので、『宗教哲学のふたつの道』でティリッヒが考えた困難は解消できるだろうと思っています。
これも、抽象化のなせる業です。
さらに脱線して少し哲学の話をすると、おそらく哲学が本当に面白いと思えるのは、一通り哲学史を学んだり、何らかのテーマに関するレポートをいくつか作成してみて初めてわかると思います。
というのは、哲学史を学ぶことで抽象化する際の材料を手に入れ、なおかつレポートを作成することで抽象化の訓練をすることができるからです。
これを愚直にやって、哲学と神学の楽しさに心を奪われてしまったのが、僕です(笑)
この楽しさを一緒に体験したい人は、ぜひ僕が主催している「コーチと読書会」に来てください^ ^
ともかく、新たな理論や概念を学び、それまでの知識を抽象化することによって新たなゲシュタルトを生み出すのが大学の学びなのです。(たぶん)
とはいえ、ここまで読んできて、「いいけど何の役に立つの?」と思った方はいないでしょうか。
それがどうやって稼げるのかという意味ならば、大学教授を目指さない限りは、何の役にも立たちません(笑)
しかし、このマインドの使い方には、実はコーチングに大きく関わる重要なポイントがあります。
一つのことに対する見方をいろいろな角度の理論から掘り下げていくことによって、新しい発見をすること、これは非常に重要なマインドの使い方です。
なぜならば、これはゲシュタルトメーカーのマインドだからです。
ゲシュタルトメーカーとは、ゴール自体を創造していくマインドです。
役に立つということは、自分のゴール自体を更新することなく、最適化の方向性に進むことです。
それに対して、抽象化を繰り返して理解を更新していくというマインドは、実はゴール自体を変容させて方向転換を促すものなのです。
東大の准教授と修士の学生の僕とを同じ土俵で語るのは非常に烏滸がましい気がしますが(笑)、ゲシュタルトメーカーのマインドとは、この方向転換を楽しむマインドなのです。
その方向転換が根本的だったり革新的であればあるほど、興奮してドーパミンが流れます。
楽しすぎて眠らずに勉強してしまうこともあるでしょう。僕は実際にありました(笑)
そして、このゲシュタルトメーカーのマインドの使い方に、競争の要素はどこにもありません。
なぜならば、どんなゲシュタルトを作るかは個人の自由だからです。
神の存在証明を楽しいと思う人なんて、きっとあまりいないのではないかと思います(笑)。
それでも、プラトン、アウグスティヌス、アンセルムス、トマス・アクィナス、デカルト、ライプニッツ、カント、キルケゴール、ティリッヒ、ウィトゲンシュタイン、クリプキ、などなど歴史を重ねるにつれて抽象化されていくその歴史は、僕にとってものすごく楽しいものでした。(もちろん、他にもたくさんの哲学者の本を読みました)
人間は、新しいゲシュタルトを構築したとき、自由を感じることができます。
ゲシュタルトを作るには、僕がいろんな哲学理論に触れたことからもわかるように、他の人の話に耳を傾ける必要があります。
人の話をよく聴くということですね。
すると、新しい世界観が生まれます。
自分の世界観と新しい世界観との融合と、そこから新たな地平への飛躍が起こることが、マインドの不思議なところであり面白いところです。
そして、自分がそうやって作ったゲシュタルトが、自分の人生を豊かにしていくのです。
ぜひ世界に開かれてください。
外に対して開かれたマインドを持てば、あなたの脳は勝手にゲシュタルトを生み出し始めます。
インプットとアウトプットは、本質的な部分で、表裏一体の関係にあるのです。
あなたが真にインプットできたとき、実はあなたは新しいゲシュタルトの構築に既に成功しているのです。
僕は、このインプットとアウトプットのコインの裏表の関係は、人間という存在の本質に根ざしていると思います。
あなたのゲシュタルトメーカーのマインドは、実は今この瞬間に手にすることができるものなのです。
ゲシュタルトメーカーへの道が、かなり開けてきましたね^ ^
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