コーチングと悟りを超えて生まれる自由意志
こんにちは。昨日は金曜日で、本来なら配信予定の日だったのですが、ゴールデンウィークで通常のルーティンから外れていたため曜日感覚を失い忘れてしまっていました(笑)
ということで、1日遅れで土曜日の配信になります。
ここ2回のメルマガが難しくなってきているとの声を読者の方からいただいたので、今回は少し簡単な、しかし大切なことを書いていこうと思います。
それは、前回の記念の記事の内容になってくるのですが、我々はゴールに支配されているということです。
人は問いから思考をスタートさせます。
そして、その問いとはコーチング用語ではゴールになります。
ゴールセッティングは、我々の認知空間全てを支配しているのです。
ここに、ゴールを現状の外側に設定するというプリンシプルが大きな意味を持つ理由があるのです。
現状を作っているのはゴールであり我々は現状しか通常認識することはできない、にもかかわらず、ゴールは現状の外側に設定するのです。
これは、コーチング理論の底流に、自由意志への信念があることを意味しています。
ここでいう自由意志とは、内部表現を超越する視座といえるものです。
内部表現を超越する。
これはどういう意味なのか、掴むのが難しいかもしれません。
しかし、実は我々は内部表現を超越しなければ生まれないものをすごく身近なものとして知っているのです。
それは、我々自身の言語能力です。
僕は苫米地博士が話に出していることからチョムスキーを知り、いま大学でよくしてもらっている認知心理学の教授が言語獲得の研究をしていることでさらに縁が生まれてチョムスキーなどの学者の理論を学び始めたのですが、彼の理論はまずダーウィニズムを部分的に否定しています。
どういうことかというと、他の哺乳類に見られる言語能力が適者生存(survival of the fittest)という最適化の末に人間という種の言語能力が獲得されたとは到底考えられない(というか間違っている)というところからスタートするのです。
そして、未だ残された問いに、「なぜ言語は生まれたのか?」という問いがあると書いています。彼はある本(『チョムスキー言語学講義』)でコミュニケーションだったり、視覚情報を推論のために変換したりという仮説を紹介していますが、どちらにしても、そこには意志があるといえるでしょう。
なぜなら、他の動物からは考えられない能力であることに変わり無いからです。
進化とは、偶然によるものなのか、意志によるものなのか。
この問いの形式は、進化という枠を超えて、この宇宙は偶然そこにあるのか、何らかの意思によってここにあるのかという問いにまで拡大することができます。
この問いは、内部表現を超越する自由意志をめぐる究極的な問いなのです。
そして、すべてはある強烈な意志によっていまここにあると考えるのが、コーチングです(ロマンチックというか、エレガントですよね)。
そして、その究極的な問いは、我々が根源的に何を求めているのかという究極のゴールへと繋がります。
なぜ自分はこの宇宙に生きているのかという問いは、なぜこの宇宙は存在しているのか、なぜ自分は今ここに存在しているのか、自分の究極的なゴールは何か、ということと深く関係しています。
とても宗教的に感じるかもしれませんが(実際に宗教的なのですが)、内部表現を超越する自由意志を、神とする必要はありません。
苫米地博士が著書に書いている通り、ゲーデルの不完全性定理によって全知全能の完全な世界の設計者たる神は存在しないのです。
それの意味するところは、神の存在を前提とする世界観ですらも、その外部に自由意志があるということです。
つまり、神は人の自由意志が生み出したものであるということです。
しかし、上に書いたことからお分かりのとおり、自我と神(ゴール)とは相補的な関係にありまかすから、人間が神を作ったということは神が人間を作ったともいえるわけです。
だからこそ、我々目指す自由意志は、仏教的な悟りを前提にした自由意志なのです。
コーチングは、悟りを超えたところにあるマインドの使い方なのです。
悟りを前提にした自由意志は、すべてのゴールを捨てて、その上で好きなゴールを設定するという生き方です。
空観から仮観、そして中観に至るという道ですね。
単純に、神は存在しないということはできません。
そんな短絡的な思考に終わるなら、真面目に神はいると考えて神学を学んだ方がよっぽど善人になり、いい人生を歩めることでしょう。
しかし、コーチングは、悟りを超えた先にある自由意志でゴールを設定するマインドの使い方だからこそ、「自由」をもたらすことができるのです。
それは、内部表現からの自由(free)であり、内部表現への自由(liberty)です。
自由意志は、悟りを超えた次元にあるということですね。
そして、あなたを内部表現から自由にして、あらたな内部表現を選び取る自由を与える存在、それがコーチなのです。
なぜコーチが必要なのかという答えは、はっきりしています。
自分自身で自由意志を獲得しなければゴール設定できないというのでは、悟らなければゴール設定を正しくできないということになるからです。
しかし、実際にはそんなことはありません。
多く成功者が現状の外側のゴールを持ち、コーチングを実践しています。なぜそれができるのか。
それは、コーチが隣にいたからです。
抽象度の高いコーチが隣にして、スコトーマを外し、エフィカシーを上げてくれるから、正しく現状の外側にゴールを設定することができるのです。
そして、このことは言語だけでなくすべての抽象度の領域に当てはまることは、もうお分かりのことと思います(だからバイリンガルになれるし、その他あらゆるゴールは達成できるのです!)。
ということは、コーチはよほど抽象度が高くなければ務まりませんね(笑)
書いていて、責任感と使命感が増してきました(笑)
まあ、コーチングの奥深くにはこのような自由意志に関する信念があり、僕はそれを信じるコーチなのです。
コーチング理論は、真の自由を得るために欠かせないマインドの使い方だということが伝わっていれば、幸いです。
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